ゆる部 - ゆるく楽しく生きる

毎日を楽しく過ごす情報を発信中!書評、漫画、ゲーム、音楽、グルメ等を書いたりする何でもありな雑記ブログです。

【書評】『シンプルに生きるための162のコトバ』 著者:本田直之

「シンプルに生きる」とは、しがらみから自由になること

「シンプルに生きる」とは、新しい時代の大切な「スキル」

「シンプルに生きる」とは、常識に逆走すること

「シンプルに生きる」とは、自分を信じること

本田直之さんは、多数のビジネス書を出されている方ですね。

多数の著書の特長としては、本田さんの会社名にもなっている「レバレッジ」という言葉の通り、様々なものを効率化させることを目的にした内容のものが多いです。

『シンプルに生きるための162のコトバ』は、生き方について書かれた本でした。今回の本は効率化というよりは、「世の中が今までの常識と変わり始めているけど、大丈夫?」という気付きを与えてくれるものでした。

Live Simply シンプルに生きるための162のコトバ

Live Simply シンプルに生きるための162のコトバ

 

 

今、社会は転換期だと言われています。

「良い高校、大学を卒業して大企業に入って勤め上げて、結婚して子供を作り、老後は年金で生活する。」

これが最も理想的な生き方である、と世の中では言われてきた為、皆、それに向かって努力していました。実際、数年前はそれが一番安定した生き方だったのです。

 

ですが、最近は大企業もリストラが増え、吸収合併などもされるようになり、また、年金制度は期待出来ない為、その生き方が最も安定しているとは言えなくなってきました。真面目に会社の望む通りに働いていれば、生涯安定だった時代は、変わりつつあるのです。

※もちろん、変わりつつあるだけで、大企業の方が今も安定していますし、福利厚生や給料などもいいので、それが悪いと言う訳ではありません。

 

先日、東大卒の電通の社員が過労死した事件が話題になりました。

その反応は冷ややかで、特に40~50代の世代は「俺たちも昔は、それくらい働いて当然だった」という反応が多かったそうです。

確かに20年前は、働く程給料やボーナスも上がり、年金制度もあり、そういった働き方をする事が最も安定した生き方だったので、それは事実なのでしょう。しかし、今は同じような働き方をしても、同じようなリターンは得られません。

過去の理想の生き方をそのままにして、真面目に働くと人が死んでしまう時代なのです。時代によって働き方、生き方も変えなければいけません。

『シンプルに生きるための162のコトバ』 には、これからの新しい生き方を考える為のヒントが書かれていました。

給料以外のいろいろな収入源を持つ

どんな大企業だっていつ潰れるかわからず、自分もいつリストラされるかわからないという不確実な状況下においては、給与所得以外の収入源を確保して、リスクヘッジする必要があります。

副業ではなく複業

生活費を補填するための「副業」ではなく、マルチという意味での「複業」です。「複業」は最初から安定した収入は望めないのが普通ですが、将来的なリターンが大きくなる可能性があります。

会社の仕組みを自分で作れる人が独立するのに向いている

起業から実務に至るまでの仕組みを作る能力がなければ、どんなに営業力があっても独立するのは難しいでしょう。

働いている会社のスタンダードと自分のスタンダードがイコールになると、会社なしではどうしていいかわからない状態に陷ってしまう

大企業であっても、どうなっていくかわからない世の中です。会社のスタンダードに頼って固い頭のままで生きていては、危機的状況になりかねません。

どんな大企業でもリストラや吸収合併、倒産する時代である以上、最も安定度を増やす為の方法としては、収入源を増やす事です。

最近では時代も考慮してか、副業を公認する大企業も増えてきました。

副業も本当に色々な種類があります。副業と言うとアルバイトなどもそうですが、フリーマーケットやオークションなどで物を売買したり、ブログで広告収入を得たり、自分で商品を作ってフリマアプリなどで販売するのも、立派な商売であり副業です。

そういった副業の中には、規模を大きくすれば、給与収入近くになるものもあります。それはもう副業ではなく複業で、将来への安定性は抜群に高くなります。

 

会社で働く上で大事にしたいのは、会社のルールは会社の社長が作ったもので、他の会社とは全く異なるということです。

親と子の関係と同じで、放っておけば、社員は社長が好む社員像に自然に近づいていきます。なので、社長が「副業なんてせずに、身を粉にして会社に貢献する」社員像が理想だとすれば、社員はそれ以外の事をしようとすると罪悪感を持ってしまいます。

そこまで真剣に持たなくて良いんですけどね。真面目すぎる人は、そこで期待に答えようとするから、過労死するまで働いてしまうんです。もしくは鬱になるか。使い倒された挙句に、同情されることはありません。はっきり言って損です。

会社のルールが、他の会社でも同じかと言うと、全くそんな事はないです。自分の生き方で生きましょう。

 

今回紹介した本はこちらです。

★→Live Simply シンプルに生きるための162のコトバ 

Kindle Paperwhite Wi-Fi、ブラック

Kindle Paperwhite Wi-Fi、ブラック

 

 

【書評】『憂鬱くんとサキュバスさん』 さかめがね

今回は面白かった漫画の書評です。

『憂鬱くんとサキュバスさん』 は、仕事で鬱になって休職中の青年の元に、関西弁のサキュバス(淫魔)が現れ、精のエネルギーを頂く為に、青年の憂鬱を治し性欲を取り戻そうと色々世話を焼く…と言う感じのお話です。

憂鬱くんとサキュバスさん 1 (ヤングジャンプコミックス)

憂鬱くんとサキュバスさん 1 (ヤングジャンプコミックス)

 

WEBコミックとして無料でも公開されています。

★→憂鬱くんとサキュバスさん

(下ネタも多いので女性は多少注意?)

鬱になった人の気持ちがよく描かれているな、と思いました。というのも、重度のうつになると、食欲、性欲、興味が薄れてきます。これは、人間の本能で、自分の身を守るために、外に出なくてもいいように食欲、性欲、興味を消すようなプログラムがあるからそうです。

私も最近、仕事で少しうつっぽい状態が続いていますが、食欲や性欲や興味はそこまで減ってはいません。なので、どうやら軽度のようです。。

しかしこの憂鬱くんの気持ちはとてもよく分かります。

真面目で、人に弱音を吐けないので、どこまでも無理をしてしまいます。

周囲のせいにできないので、全て自分の責任のように感じてしまい、心が疲れてしまうんですね。

疲れていても、いい顔をしようとするから、余計疲れて、どこかで糸が切れてしまう。仕事をしなければいけないと思い込んでしまう。これがうつ病になりやすい人の特長なんだと思います。

 

しかし、このサキュバスが、とても世話焼きで良いです。ご飯を作ってあげたり、励ましたり、傍から見れば仲の良い夫婦にしか見えません。

うつ病の人に必要なのは、ズバリ、弱音を言える人だと思います。自分が人の悩みを聞くことはあるのに、自分が人に言ったら迷惑なのかな・・・とか考えてしまいます。

そして、いつか元気になるよと励ましてくれる人なら、素晴らしいと思います。

 

面白かったのでおすすめです。

★→憂鬱くんとサキュバスさん

【書評】『売上2億円の会社を10億円にする方法』 五十棲剛史

どうすれば安定して会社の売上を上げ続けられるのか?

経営者にとってそれは永遠の課題です。

本書は株式会社船井総合研究所執行役員であり、経営コンサルタントの五十棲剛史(いそずみたけし)さんが書いたものです。

五十棲さんの経営コンサルは「イソズミ・マジック」と呼ばれる事もあり、数々の会社を成長させてきました。

特に『売上3億円の壁』に悩む経営者は多いそうです。そこから売上10億円に達する為には、今までのやり方ではなく、仕組みを大きく変えなければいけません。

その仕組みを本書では分かりやすく書かれています。

経営者は勿論の事、サラリーマンであれば、会社がどういう風に売上を上げていくべきなのか知っておいて損はありません。

人気経営コンサルタントが、普段どういう事を考えて売上を安定して上げようとしているのか。必見です。1500円では安すぎる本です。

売上2億円の会社を10億円にする方法 業績アップの「設計図」、教えます。

売上2億円の会社を10億円にする方法 業績アップの「設計図」、教えます。

 

最初に結論、10億円企業になるためのエッセンスを言い切ってしまいましょう。

企業が成長する過程とその成長に必要な条件は、業種を問わず、驚くほど似通っています。つまり、扱う商品やサービスが何であれ、企業活動とは自社とお客様のコミュニケーションの集合なのだと言い換えることができますし、そうしたコミュニケーションを担い、やりとりをしているのは社員とお客様。つまり、企業活動とはどこまで行っても私たち人間が考え、動くものであり、売上や利益といった企業活動の成果もその結果にすぎません。

であればこそ、どんな業種であっても「経営=マーケティング+マネジメント」という営みには共通して有効な「やり方」があるのです。

 経営=マーケティング(どういう仕組みで、販売していくか)+マネジメント(どういう仕組みで、社員のモチベーションを保ちながら上手く実践できるか)という事だと私は解釈していますが、その有効なやり方と言うのは、売上が2億円の会社と、10億円を目指す会社とでは、異なるのです。

売上が2億円の会社が10億円になる為には、やり方を変える必要があるのだと五十棲さんは言います。

一般的な社員は、平均すれば社長の30%くらいしか仕事ができません。でも、それでOKなのです。30%も仕事ができるようになってくれたら、十分です。その社員に、今社長がしている仕事をやってもらうのです。

 聞いたことがありますが、社長が忙しくしている(特に営業など売上に直接関わる部分で)会社というのは、危ないそうです。理由は社長がもし倒れたら、売上が一気になくなってしまうからです。

社長と言うのは平均の人より能力が高い事がほとんどだと思います。だからこそ売上が上げられる人であることが多いのですが、一人ですることには限界があり、売上の最大値も限度があります。

だからこそ、誰でも売れるような仕組みを作ってしまい、社長の30%の仕事力でも営業が出来るようにすればいいのです。

例えば、社長が営業で契約が取りやすい話の流れや、資料などをあらかじめ用意しておき、それをマニュアルとして用意しておけば、社員は格段に契約が取りやすくなります。

10億円企業のマーケティングとは?

1.商品作り

2.店舗作り(不要なケースもあり)

3.集客

4.営業

5.実制作

6.アフターフォロー/クレーム処理

これから作ろうとしているマーケティングのモデルをひと言で言うなら、これまで社長がやっていたマーケティング、あるいは営業の仕組みを複数の担当で動けるようなモデルにする、ということになります。

これは全てマーケティングには必要な項目です。優秀な社長は、これを全て一人でやっていると言う事になりますが、分業し、誰でも出来るようにマニュアル化する事で、より多くの数をこなせるようになります。

営業の話では、色々な会社の話を聞いていると、教育もマニュアルもなく飛び込みで営業をさせる…と言う会社もあるようです。それでは成果が上がりにくいのは当然ですよね。集客は会社が行い、営業のみ社員に行って貰うなどの方法もあります。その方が社員の負担も少ないです。

10億円企業のマネジメント設計とは?

1.採用設計

2.教育設計

3.評価設計

4.管理設計

5.理念設計

2億円企業の経営者の多くは、社員をどう育てるか、どうマネジメントしていくか、という問題については無関心です。今までは自分が現場を切り盛りしていればよく、そんなことに気を回している余裕も必要もなかったでしょうから、それも当然のことだったのでしょう。社員がすぐに辞めてしまうような会社であったとしても、実質的には自分だけがフル開店していれば経営は成り立っていたからです。

中小企業にはいい人材が入ってくるのは珍しいです。なので大切なのは、人財は育てると言う事です。それも仕組みによって可能になります。

私は500名規模の中小企業と、10名規模のベンチャー企業の両方を経験した事がありますが、中小企業の方は誰でも仕事が出来るようなマニュアルが多かったのを覚えています。なので、例えアルバイトでも1ヶ月後には仕事が十分に出来るようになっていました。

逆にベンチャー企業の方は、人数も少ないのでマニュアルがほとんどない場合も多く、社長の支持で全てが行われている場合も多いです。採用後は放置…と言う事で、教育設計すら十分になく、新人に無茶な指導をした結果、次々と退職したということも…。

10億円企業を目指すのであれば、せっかく採用した人財を活用する為にも、マネジメントの仕組みが必要だと言うことですね。

3ヶ月で1人前になるプログラムをつくり、導入することです。

また、私が働いていた中小企業では、半年で1人前になるプログラムが作られていました。離職率の高い飲食業界でしたが、70名ほどの新人が、半年までほぼ全員残っていたのを覚えています。今思えば、しっかりとしたプログラムが組まれていたのですね。(ちなみに年商は100億円以上でした。)

 

10億円企業になる為には、必要な仕組み作りが沢山あります。どうすれば、今より良く出来るのか・・・。そのヒントが満載のビジネス本です。マーケティングとマネジメントに関する事なので、大枠ではこれからも色褪せる事はない内容でしょう。

売上2億円の会社を10億円にする方法 業績アップの「設計図」、教えます。

【書評】『たくましい人』 加藤諦三

人の一生はトラブルの連続である

誰でも充実した人生を送りたいと思う。生きがいのある平穏な人生を送りたいと思う。人とのいさかいを好む人は居ない。誰でもトラブルは望まない。

しかしそれにも拘らず人の一生はトラブルの連続である。平穏な人生を望みながらも、いさかいは絶えない。

たくましい人 (PHP文庫)

たくましい人 (PHP文庫)

 

私は加藤諦三さんの本をおそらく30冊以上は読んでいますが、この本が最も好きな本かもしれません。

それは、このトラブルだらけの世の中で、どういう心構えで生きていけば良いのかを学ぶ事ができたからです。

若い頃はつい理想を追い求めてしまいます。でも、現実には上手くいかない事も多い。年齢を重ねるに連れて、仕事で出世したり家族が出来たりと、責任が増える事も多いです。

トラブルがなく、生きていくことはできないのです。その中で生きる事ができる人が「たくましい人」だと加藤さんは言います。

この本は、トラブルだらけの世の中で、生きていく為のヒントを得たい方におすすめの本だと思います。

自分を守るのは自分しかいない

この世の中には誰も守ってくれない種類のトラブルが沢山ある。それが現実の世の中である。そしてそれは自分が解決しなければならない。誰も助けてくれない。

だいたいトラブルの相手はずるい人であるから、誠実な人の方が悪い人に仕立て上げられていく。このような場合には普通の人は消耗して病気になることもある。ストレスに負けるのである。恥知らずの方は消耗しないから元気である。

トラブルを起こすような人は、相手の事を考えていません。だから約束を守らないし、人を傷つける事を平気でします。

誠実な人は相手の事を考えたり、約束を守り、人を傷つけないので、どうしても割を食ってしまう場合が多いように思います。

本当に理不尽だとは思いますが、それは現実にあるものとして受け入れ、この世の中で生きていくには、自分で自分を守る覚悟が必要です。

 

この本の中には、トラブルを正面から受け止め、解決する為の名言が沢山書かれています。

・自分を守る為に、たくましい人になる。

・こういう時にはこうして乗り越える。と言う知恵を学ぶ。

・自分にはこんな執著があるのだと気付く。

・悪いこともいいよ、おいで。何かトラブルは起きた方が良い。

・あっちもこっちもトラブルだらけの時には、「私は、今揉まれている、磨かれている」と思うこと。トラブルで磨かれなければ輝かない。

・トラブルが起きているのに、生活をちゃんとしている人がいる。それがたくましい人。「よくそうしていることができるね」と思われるほど平静でいられることである。

・試しに今が一番良いと思ってみる。

・強い立場の者から痛めつけられて、もだえ苦しんだ体験が本当にたくましい人を作る。

・そうした地獄の体験をした人は顔が違ってくる。憎しみや恨みの感情に耐えて乗り越えた人の顔は違う。

・苦しみを乗り越えた人の顔は引き締まっている。顔の奥が輝いている。それがたくましい人である。

・若い頃に苦労をして強くなることが、その人のその後の人生にどれだけプラスになるか分からない。

・普通ならとっくに死んでいるよと言われるような体験の連続の中でも、平気で笑って生きている人がいる。それがたくましい人である。

・現実の世の中で起きたトラブルに対して「解決に動く」、それが修行である。

・この現実の世の中で、楽しく生きようとすることが修行なのである。

・自分の力でトラブルを解決した。それが自信になる。

・この現実の世の中は、妬みとひがみと情緒的未成熟の海である。その世界で人から嫌がらせをされつつ自分を見失わないで生きるように努めることが修行である。

・戦うべきときに戦うということである。

トラブルなどの嫌な事から逃げるのではなく、真っ向から解決に向かう事で、エネルギーが湧き、実際に解決出来る事で本当の自信が付くのだと加藤さんは言います。

私は、人が次々に不幸になる環境など、本当にどうしようもない時は、逃げた方(環境を変えた方)が良い時もあると思いますが、この考えを知ってから、出来るだけトラブルは解決しようと心がけるようになりました。

トラブルを解決出来れば出来るほど、本当の自信が付くと思ったからです。

「悪いこともいいよ、おいで」と、思うようになりました。

周囲にいる「この人は頼れる人だ」と言う人も、数々のトラブルを乗り越えた経験がある為、自信が漲っているようにも思います。

そういう人達は、トラブルが起きた時も、真っ向から向かい解決していったのではないかと思います。

しぶとく、かつやさしい人になれ

あまりにも望ましい環境の中で生きている人の中には、たくましい人はいない。私はそう思っている。

何故なら人は鍛えられて初めてたくましくなるからである。気を失いそうな悔しさに耐えて、人はたくましくなっていく。

本当にたくましい人とは、どのような種類のトラブルにも、どのような種類のストレスにも、どのような種類の失敗にも、どのような悔しさにも、決して負けない人である。

順境は心地いいですが、確かに鍛えられるかというと、そうではないかもしれません。

たくましい人とはやさしくてもこの世俗の中で生きていられる人である。

私は周囲から優しいと言われる事がありますが、どんなストレスの中で生きていけるほど、まだ強い訳ではありません。そういう時、優しい状況でいるのは難しいです。

強くたくましく、やさしい人。私もそういう人を、目指しています。

たくましい人 (PHP文庫)

【書評】『なぜこの人は、自分のことしか考えないのか』 加藤諦三

周囲の人を「よくもここまで」と思うほど不幸にして生きている人がいる。自分が心理的に楽になるために周囲の人を平気で苦しめながら、本人は「辛い、辛い」と騒いで生きている。人を不幸に突き落とした加害者でありながら、自分の辛さを訴えて、被害者になりすましている人がいる。

これは重度の「神経症」になってしまった人の特長だと言います。あなたの周囲にも、思い当たる人がいるかもしれません。

 こういう人からは、一刻も早く離れないといけませんが、そもそも何故その人はそういう風になってしまったのか。それが分かるのが本書です。

しかし、実は、神経症的傾向のない人は日本にはほとんどいないそうです。

周囲と触れ合えなかったり、前の環境では認められていたのに、今は認められにくかったり。また、人の足を引っ張り合うような空気がギスギスした環境があまりにも続くと、心の安定を求める為に、周囲に悪く、絡んでしまうのです。

そういう、誰にでもあるかもしれない、湧き上がる嫌な感情の正体に気付く為の本です。心理的に健康な人なら、どう考えるのか。それが学べます。

ふれあっている人は、自分に利益をもたらさなくても、相手は自分にとって意味のある存在である。

ふれあっている人は、喧嘩をしても相手の幸せを願っている。

ふれあいのない家族の父親は、家族から馬鹿にされまいと虚勢を張る。父親が給料の高さを自慢する。「わー凄い」と家族の皆が言う。「家の改築でもするか」と父親が言う。「わー凄い」と家族の皆が言う。このような父親は、こう言うことで皆から賞賛を得て自分の幼児的願望を満たしているのである。つまりこの父親は家族への関心がない。

だから父親が高い給料で、改築されて立派な家の息子が自殺しても、おかしくないのである。

私の実家のようですね…。ここまでひどくはないですが(笑

心が触れ合ってないなら、どんなに良い物を食べても、高価な旅行に行っても、楽しくない訳です。むしろ、苦痛だと思うのが普通です。

しかし神経症になってしまった人は、自分の価値を感じる事ができないので、お金や名誉で自分の価値を感じようとする。

周囲に関心を持たれる為に、仕事で出世したり、会社を立ち上げたりしたはずなのに、心からの幸せは感じられない。それは周囲に関心がなく、自分のことしか考えれなくなっている為なのです。優越したい、損をしたくない、無駄な会話はしたくない。とばかり考えてしまうから、いつもやすらげない、楽しくない。

心が触れ合っている人となら、例えご飯と味噌汁とおかず1品でも、楽しい食事になります。

神経症者はなんとしても出世をしたい。それは何であってもいい。皆から尊敬されるものであれば、自分がそれを好きか嫌いかは問題ではない。というよりも神経症者は自分が何を好きか嫌いかが分からなくなっている。

神経症者は失敗を受け入れる事ができない。心理的に健康な人は自分のしたいことをして失敗するから、失敗してもしたことに対する満足はある。

親が社長であったり、社会的地位の高い人であれば、どうしても子供も同じような考えになりやすいようです。

心理的に健康な人は自分がなれるもので満足する。

心理的に健康な人は愛する人のために何かをする時に楽しい。

自己実現の人は相手のためになることをしている時が楽しい。

自己実現の人はプラスで愛を感じる。

神経症者の基本は、人が嫌いということである。彼らは嫌い、嫌いの人間関係の中にいる。

神経症者は恋人が積極的に何かをしてくれることに愛を感じるのではなく、じっと耐えている姿に愛を感じるのである。

思えば数年前、自分が神経症的傾向が弱いと感じていた時は、誰かの為になることが、楽しいと素直に思えていたと思います。特に恋人の喜ぶ事をするのは、嬉しいし、お互いにとってプラスだと感じていた。少なくとも、恋人がじっと我慢する姿を見て、嬉しいとは絶対に思わなかったと思う。

会社が変わってから、社員の何名かが重度の神経症で、自分も神経症がひどくなり、周囲に辛く当たるようになってしまいました。

加藤諦三さんの本を読んで、自分の神経症的な傾向に気付き、心理的に健康になれるようにセルフケアをしていますが、やはり周囲に強い神経症の方がいると、自分もそれにつられてしまいます。

修行だと思って、3年今の会社で我慢していましたが、そろそろ限界です。

今は一刻も早く、この環境から抜け出す事を考えています。心の触れ合いがない、ただ勝つか負けるか、なんて神経症的傾向の強い環境は、私には合いませんでした。