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【書評】『たくましい人』 加藤諦三

人の一生はトラブルの連続である

誰でも充実した人生を送りたいと思う。生きがいのある平穏な人生を送りたいと思う。人とのいさかいを好む人は居ない。誰でもトラブルは望まない。

しかしそれにも拘らず人の一生はトラブルの連続である。平穏な人生を望みながらも、いさかいは絶えない。

たくましい人 (PHP文庫)

たくましい人 (PHP文庫)

 

私は加藤諦三さんの本をおそらく30冊以上は読んでいますが、この本が最も好きな本かもしれません。

それは、このトラブルだらけの世の中で、どういう心構えで生きていけば良いのかを学ぶ事ができたからです。

若い頃はつい理想を追い求めてしまいます。でも、現実には上手くいかない事も多い。年齢を重ねるに連れて、仕事で出世したり家族が出来たりと、責任が増える事も多いです。

トラブルがなく、生きていくことはできないのです。その中で生きる事ができる人が「たくましい人」だと加藤さんは言います。

この本は、トラブルだらけの世の中で、生きていく為のヒントを得たい方におすすめの本だと思います。

自分を守るのは自分しかいない

この世の中には誰も守ってくれない種類のトラブルが沢山ある。それが現実の世の中である。そしてそれは自分が解決しなければならない。誰も助けてくれない。

だいたいトラブルの相手はずるい人であるから、誠実な人の方が悪い人に仕立て上げられていく。このような場合には普通の人は消耗して病気になることもある。ストレスに負けるのである。恥知らずの方は消耗しないから元気である。

トラブルを起こすような人は、相手の事を考えていません。だから約束を守らないし、人を傷つける事を平気でします。

誠実な人は相手の事を考えたり、約束を守り、人を傷つけないので、どうしても割を食ってしまう場合が多いように思います。

本当に理不尽だとは思いますが、それは現実にあるものとして受け入れ、この世の中で生きていくには、自分で自分を守る覚悟が必要です。

 

この本の中には、トラブルを正面から受け止め、解決する為の名言が沢山書かれています。

・自分を守る為に、たくましい人になる。

・こういう時にはこうして乗り越える。と言う知恵を学ぶ。

・自分にはこんな執著があるのだと気付く。

・悪いこともいいよ、おいで。何かトラブルは起きた方が良い。

・あっちもこっちもトラブルだらけの時には、「私は、今揉まれている、磨かれている」と思うこと。トラブルで磨かれなければ輝かない。

・トラブルが起きているのに、生活をちゃんとしている人がいる。それがたくましい人。「よくそうしていることができるね」と思われるほど平静でいられることである。

・試しに今が一番良いと思ってみる。

・強い立場の者から痛めつけられて、もだえ苦しんだ体験が本当にたくましい人を作る。

・そうした地獄の体験をした人は顔が違ってくる。憎しみや恨みの感情に耐えて乗り越えた人の顔は違う。

・苦しみを乗り越えた人の顔は引き締まっている。顔の奥が輝いている。それがたくましい人である。

・若い頃に苦労をして強くなることが、その人のその後の人生にどれだけプラスになるか分からない。

・普通ならとっくに死んでいるよと言われるような体験の連続の中でも、平気で笑って生きている人がいる。それがたくましい人である。

・現実の世の中で起きたトラブルに対して「解決に動く」、それが修行である。

・この現実の世の中で、楽しく生きようとすることが修行なのである。

・自分の力でトラブルを解決した。それが自信になる。

・この現実の世の中は、妬みとひがみと情緒的未成熟の海である。その世界で人から嫌がらせをされつつ自分を見失わないで生きるように努めることが修行である。

・戦うべきときに戦うということである。

トラブルなどの嫌な事から逃げるのではなく、真っ向から解決に向かう事で、エネルギーが湧き、実際に解決出来る事で本当の自信が付くのだと加藤さんは言います。

私は、人が次々に不幸になる環境など、本当にどうしようもない時は、逃げた方(環境を変えた方)が良い時もあると思いますが、この考えを知ってから、出来るだけトラブルは解決しようと心がけるようになりました。

トラブルを解決出来れば出来るほど、本当の自信が付くと思ったからです。

「悪いこともいいよ、おいで」と、思うようになりました。

周囲にいる「この人は頼れる人だ」と言う人も、数々のトラブルを乗り越えた経験がある為、自信が漲っているようにも思います。

そういう人達は、トラブルが起きた時も、真っ向から向かい解決していったのではないかと思います。

しぶとく、かつやさしい人になれ

あまりにも望ましい環境の中で生きている人の中には、たくましい人はいない。私はそう思っている。

何故なら人は鍛えられて初めてたくましくなるからである。気を失いそうな悔しさに耐えて、人はたくましくなっていく。

本当にたくましい人とは、どのような種類のトラブルにも、どのような種類のストレスにも、どのような種類の失敗にも、どのような悔しさにも、決して負けない人である。

順境は心地いいですが、確かに鍛えられるかというと、そうではないかもしれません。

たくましい人とはやさしくてもこの世俗の中で生きていられる人である。

私は周囲から優しいと言われる事がありますが、どんなストレスの中で生きていけるほど、まだ強い訳ではありません。そういう時、優しい状況でいるのは難しいです。

強くたくましく、やさしい人。私もそういう人を、目指しています。

たくましい人 (PHP文庫)

【書評】『なぜこの人は、自分のことしか考えないのか』 加藤諦三

周囲の人を「よくもここまで」と思うほど不幸にして生きている人がいる。自分が心理的に楽になるために周囲の人を平気で苦しめながら、本人は「辛い、辛い」と騒いで生きている。人を不幸に突き落とした加害者でありながら、自分の辛さを訴えて、被害者になりすましている人がいる。

これは重度の「神経症」になってしまった人の特長だと言います。あなたの周囲にも、思い当たる人がいるかもしれません。

 こういう人からは、一刻も早く離れないといけませんが、そもそも何故その人はそういう風になってしまったのか。それが分かるのが本書です。

しかし、実は、神経症的傾向のない人は日本にはほとんどいないそうです。

周囲と触れ合えなかったり、前の環境では認められていたのに、今は認められにくかったり。また、人の足を引っ張り合うような空気がギスギスした環境があまりにも続くと、心の安定を求める為に、周囲に悪く、絡んでしまうのです。

そういう、誰にでもあるかもしれない、湧き上がる嫌な感情の正体に気付く為の本です。心理的に健康な人なら、どう考えるのか。それが学べます。

ふれあっている人は、自分に利益をもたらさなくても、相手は自分にとって意味のある存在である。

ふれあっている人は、喧嘩をしても相手の幸せを願っている。

ふれあいのない家族の父親は、家族から馬鹿にされまいと虚勢を張る。父親が給料の高さを自慢する。「わー凄い」と家族の皆が言う。「家の改築でもするか」と父親が言う。「わー凄い」と家族の皆が言う。このような父親は、こう言うことで皆から賞賛を得て自分の幼児的願望を満たしているのである。つまりこの父親は家族への関心がない。

だから父親が高い給料で、改築されて立派な家の息子が自殺しても、おかしくないのである。

私の実家のようですね…。ここまでひどくはないですが(笑

心が触れ合ってないなら、どんなに良い物を食べても、高価な旅行に行っても、楽しくない訳です。むしろ、苦痛だと思うのが普通です。

しかし神経症になってしまった人は、自分の価値を感じる事ができないので、お金や名誉で自分の価値を感じようとする。

周囲に関心を持たれる為に、仕事で出世したり、会社を立ち上げたりしたはずなのに、心からの幸せは感じられない。それは周囲に関心がなく、自分のことしか考えれなくなっている為なのです。優越したい、損をしたくない、無駄な会話はしたくない。とばかり考えてしまうから、いつもやすらげない、楽しくない。

心が触れ合っている人となら、例えご飯と味噌汁とおかず1品でも、楽しい食事になります。

神経症者はなんとしても出世をしたい。それは何であってもいい。皆から尊敬されるものであれば、自分がそれを好きか嫌いかは問題ではない。というよりも神経症者は自分が何を好きか嫌いかが分からなくなっている。

神経症者は失敗を受け入れる事ができない。心理的に健康な人は自分のしたいことをして失敗するから、失敗してもしたことに対する満足はある。

親が社長であったり、社会的地位の高い人であれば、どうしても子供も同じような考えになりやすいようです。

心理的に健康な人は自分がなれるもので満足する。

心理的に健康な人は愛する人のために何かをする時に楽しい。

自己実現の人は相手のためになることをしている時が楽しい。

自己実現の人はプラスで愛を感じる。

神経症者の基本は、人が嫌いということである。彼らは嫌い、嫌いの人間関係の中にいる。

神経症者は恋人が積極的に何かをしてくれることに愛を感じるのではなく、じっと耐えている姿に愛を感じるのである。

思えば数年前、自分が神経症的傾向が弱いと感じていた時は、誰かの為になることが、楽しいと素直に思えていたと思います。特に恋人の喜ぶ事をするのは、嬉しいし、お互いにとってプラスだと感じていた。少なくとも、恋人がじっと我慢する姿を見て、嬉しいとは絶対に思わなかったと思う。

会社が変わってから、社員の何名かが重度の神経症で、自分も神経症がひどくなり、周囲に辛く当たるようになってしまいました。

加藤諦三さんの本を読んで、自分の神経症的な傾向に気付き、心理的に健康になれるようにセルフケアをしていますが、やはり周囲に強い神経症の方がいると、自分もそれにつられてしまいます。

修行だと思って、3年今の会社で我慢していましたが、そろそろ限界です。

今は一刻も早く、この環境から抜け出す事を考えています。心の触れ合いがない、ただ勝つか負けるか、なんて神経症的傾向の強い環境は、私には合いませんでした。

 

【書評】『男30代、悔いなく生きる約束事!』 船井幸雄

船井幸雄さんは、日本最大級のコンサルティング会社である船井総研創始者です。

船井流経営法と呼ばれる、長所進展、欠点の指摘はしない、プラス発想など、船井幸雄さんの独自の考えを用いた経営コンサル手法には学ぶべき所が多いです。

この著書にもそうした考えのエッセンスが含まれていますが、経営の事と言うよりは、どちらかと言えば社会人(人)としての働き方や生き方などの考え方が書かれています。

いい顔の3条件とは

「生き生きしている」「優しさを持っている」「性的魅力がある」

いい顔になるためにいちばん大事なのは、生き生きとしていることであり、それは人間として正しく生きることである。

人間として正しく生きれば、心も充実し、いい顔になっていくし、運もつくようになっていく。

船井幸雄さんは、良心に従い、人間として正しい行いをすれば、いい顔になり、自然とツくようになると言っています。

後ろめたいことや、世の中のためにならないことはするな、と言っています。もしそういった事で上手くいったとしても、長続きすることはないそうです。

逃げてばかりでは"天然物のたくましさ"は得られない!

目の前にある壁を乗り越えずに逃げてばかりいたら、いつまで経ってもその壁を乗り越えることはできない。つまり、成長しないということだ。

何度も逆境に陥るよりも、何もなく順調に過ごせれば幸せには違いない。しかし、そうした苦労をしていない人間は弱い。いざという時に使い物にならない。

自信がある人と言うのは、何度も壁を乗り越えられた経験があるから、自信があるのでしょう。今が逆境だと思っている人は、自分を成長させる為の修行や試練だと思ってみるのもいいかもしれませんね。

何度も修羅場をくぐってきた人や、死線をくぐってきた人は肝が据わっている。

修羅場では、これまでの経験や知識はほとんど役立たない。役に立たないというより、思いもかけないことが次から次へと起こるためにパニックに陥り、何をどうしていいのかを瞬時に判断することができなくなってしまうのである。

仕事をしていく上で何度か修羅場を経験したことがあるかもしれません。その時は辛いですが、その経験は自分にとって良い影響を与える可能性も高いのです。

 

『実践版 孫子の兵法 勝者を支える最高峰の戦略書』 鈴木博毅

孫子」は2500年前に書かれた兵法書です。

「勝つこと」を目指して書かれた孫子は、現在ビジネスとも大きな共通点があり、今でも多くの方に読み続けられています。

実践版 孫子の兵法 ― 勝者を支える最高峰の戦略書
 

長く読み続けられている書物は、時代が変化しても変わらない、人間の本質を突いた内容のものが多いです。孫子もその一つです。

人は皆、平等という理想は素敵ですが、実際の世の中は弱肉強食の部分も多く、それが自然の姿な以上、今後も様々な「戦い」が完全になくなることはありません。

だからこそ、孫子は読み続けられているのでしょう。

ありのままの人は弱く、失敗ばかりで人生を終える。

自然体でいることは、感情的にはとても安心出来るものです。心にやすらぎを感じるときに必要な考え方でしょう。

しかし戦いは非常なもの。勝つための定石を学ばず、勝ち組の理屈にも関心を持たないままでは、負けてしまうのも現実です。

敵を知り、己を知るならば、絶対に敗れる気づかいはない。己を知って敵を知らなければ、勝敗の確率は五分五分である。敵も知らず己も知らなければ、必ず敗れる。

これは孫子の中でも特に有名な文章ですね。

勝負の為には、徹底的に関連することを調べる。特に自分と敵の両方を知る事が、勝利に繋がると言います。何も準備をせずに戦いに行くのは、自ら負けに行くようなものかもしれませんね。

人のカラダは、環境に簡単に影響される。

人間は弱いものです。特に精神や体が健康である事は重要です。

また、マネジメントの考え方で、組織の成果が最も高くなるのは「人間関係」が良い時だそうです。(ホーソン実験

勝つ能力を備えている者ほど、多くの準備が必要と考えているのです。

希望的観測をする人は、準備をおろそかにする危うい人だといえるでしょう。

孫子では、とにかく勝つ為の可能性を1%でも高くしようと、徹底して準備する事が重要だと言われているように思います。勝つ人は運が良いのではなく、勝つための努力を徹底しているのです。

孫子を読むと、勝つ為の心構えが学べるように思います。

勝負が嫌いな人でも、生きているうちに戦わなければいけない時は来るかもしれません。その時に、孫子の知恵が役に立つでしょう。

『ふれあいの法則 自分が幸せなとき相手の幸せを願える』 加藤諦三 

苦しくても元気でいられる法則があってもいいのではないか。

たとえば、あなたが苦しいのは分かる。でも、お互いに「苦しい!」とそればかりを言い合っていても前には進めない。それでは幸せはやってこない。この苦しさをバネにして前に進むしかない。

苦しい中にもホッとするものを探すことだ。苦渋に満ちた顔をしていてもいい、ほんの一つホッとするものを探し出す努力をすることである。苦しい中で我慢して、もうひと踏ん張りして笑顔をつくる。その努力ができれば、幸せになれる。

人生がどうにも上手くいかなくなり、心が弱ってしまった時、助けになるのは心理学ではないかと思います。

特に加藤諦三(かとうたいぞう)さんの本は、自分がどうして悩んでいるのか、その原因を知る事ができる為、解決に繋がりやすいです。

私も今の職場で、人間関係がグチャグチャになり、職場全体が落ち込んでいる時に、加藤諦三さんの本に出会いました。

そこから客観視して自分を見ることが出来、冷静さを保つ事が出来るようになりました。

ふれあいの法則―自分が幸せなとき、相手の幸せを願える

ふれあいの法則―自分が幸せなとき、相手の幸せを願える

 

 心理学と言うと、癒やしと言うイメージがあるかもしれません。確かに悩みの原因を解決出来ると癒やされますが、そこに辿り着くには、苦しみの原因を正面から受け止め、それを解決する努力が必要です。

加藤諦三さんの本を読むと、人によってはショックを受けるかもしれません。特に苦しみの原因を、見ないようにして現実逃避していた場合は、その原因を直視する事が解決に繋がる為、実は悲惨かもしれない現実を見た時に、耐えられない場合もあるからです。

しかし、現実に起きている問題を解決しようとする意志さえあれば、現実を直視しても、きっとほとんどの悩みを解決出来るのではないかと私は思います。

人は本当の事を言われた時、怒りの気持ちが沸いてくるそうです。そこに、自分の悩みの原因のヒントがあるのです。

幽霊やオバケも見えないから怖いものです。悩みも原因が見えれば、心に余裕が出来ます。

私は加藤諦三さんの本を読む時は、優しい言葉を期待するのではなく、現実を直視し、たくましい自分になる為に、読んでいます。

やすらぎの心とは――。

相手を認め、自分を認めること。

 

あの人は家を買った。私には家はないけど、こんなに楽しい仕事がある。

あの人は出世したけど、私にはこんな楽しい趣味がある。

あの人はお金があるけど、私はこんなに健康だ。

 

ほめてもらいたいために生きてきたあなた。

ほめてあげたいという気持ちをなくしたあなた。

私は加藤諦三さんの本に出会ってから、生き方が変わりました。

今までは誰かに褒めてもらう為、認めてもらう事が全てだったからです。

褒めたり、認めて貰えない自分には、何の価値もないのだと思い込んでいました。

子供の頃、良い成績を取った時などにしか、親に存在を認めて貰えなかった場合は、良い成績を取れなかった時を考えるのが、恐怖になります。

だから、全身全霊をかけて、良い成績や人の評価を得ようとする。

本当の自分を、さらけ出すことが出来ない。

リラックスできない。友人も作りにくい。優越する事ばかりの会話が中心。

競争社会の悪い面だとは思いますが、今の日本では、こういう人は多いのではないでしょうか。私は私、他人は他人で良いのです。他人より全て優越したいなんて思うから辛い。

常に、誰かに優越しなければと思っている人は、確かに、社会的には成功しやすいでしょう。命をかけて人の評価を得ようとする訳なので、必死で努力します。

しかし、いつまでも、やすらげない。

まずは頑張っている自分を、今の段階で認めること。(まだまだ足りない、とか思うかもしれませんが、とりあえず自分に合格を出してみる。)そうすれば、他人も認める事がきっとできます。

私はいつも生まれ変わりたかった。

今までの自分を引きずっているのを、断ち切りたかった。

父親が認めてくれない。ただそれだけのことで自分を小さいと感じた。

加藤諦三さんは「テレフォン人生相談」というラジオのパーソナリティーをされていますが、本当に人の悩みの原因を察する力がズバ抜けています。

どうしてそういった事が出来るのかと言うと、加藤諦三さん自身が父親で悩んでいた過去があった為だと言います。著書を見ていると、こんなに人生で深く悩んでいる人がいるのか・・・と思うと思います。

その経験から書かれた著書は、加藤諦三さん自身が、自分を奮い立たせるために書いた内容であり(著書の一つに書かれていました。)、同じく悩む人が励まされる内容である事は間違いありません。私もその一人です。