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【書評】『なぜこの人は、自分のことしか考えないのか』 加藤諦三

周囲の人を「よくもここまで」と思うほど不幸にして生きている人がいる。自分が心理的に楽になるために周囲の人を平気で苦しめながら、本人は「辛い、辛い」と騒いで生きている。人を不幸に突き落とした加害者でありながら、自分の辛さを訴えて、被害者になりすましている人がいる。

これは重度の「神経症」になってしまった人の特長だと言います。あなたの周囲にも、思い当たる人がいるかもしれません。

 こういう人からは、一刻も早く離れないといけませんが、そもそも何故その人はそういう風になってしまったのか。それが分かるのが本書です。

しかし、実は、神経症的傾向のない人は日本にはほとんどいないそうです。

周囲と触れ合えなかったり、前の環境では認められていたのに、今は認められにくかったり。また、人の足を引っ張り合うような空気がギスギスした環境があまりにも続くと、心の安定を求める為に、周囲に悪く、絡んでしまうのです。

そういう、誰にでもあるかもしれない、湧き上がる嫌な感情の正体に気付く為の本です。心理的に健康な人なら、どう考えるのか。それが学べます。

ふれあっている人は、自分に利益をもたらさなくても、相手は自分にとって意味のある存在である。

ふれあっている人は、喧嘩をしても相手の幸せを願っている。

ふれあいのない家族の父親は、家族から馬鹿にされまいと虚勢を張る。父親が給料の高さを自慢する。「わー凄い」と家族の皆が言う。「家の改築でもするか」と父親が言う。「わー凄い」と家族の皆が言う。このような父親は、こう言うことで皆から賞賛を得て自分の幼児的願望を満たしているのである。つまりこの父親は家族への関心がない。

だから父親が高い給料で、改築されて立派な家の息子が自殺しても、おかしくないのである。

私の実家のようですね…。ここまでひどくはないですが(笑

心が触れ合ってないなら、どんなに良い物を食べても、高価な旅行に行っても、楽しくない訳です。むしろ、苦痛だと思うのが普通です。

しかし神経症になってしまった人は、自分の価値を感じる事ができないので、お金や名誉で自分の価値を感じようとする。

周囲に関心を持たれる為に、仕事で出世したり、会社を立ち上げたりしたはずなのに、心からの幸せは感じられない。それは周囲に関心がなく、自分のことしか考えれなくなっている為なのです。優越したい、損をしたくない、無駄な会話はしたくない。とばかり考えてしまうから、いつもやすらげない、楽しくない。

心が触れ合っている人となら、例えご飯と味噌汁とおかず1品でも、楽しい食事になります。

神経症者はなんとしても出世をしたい。それは何であってもいい。皆から尊敬されるものであれば、自分がそれを好きか嫌いかは問題ではない。というよりも神経症者は自分が何を好きか嫌いかが分からなくなっている。

神経症者は失敗を受け入れる事ができない。心理的に健康な人は自分のしたいことをして失敗するから、失敗してもしたことに対する満足はある。

親が社長であったり、社会的地位の高い人であれば、どうしても子供も同じような考えになりやすいようです。

心理的に健康な人は自分がなれるもので満足する。

心理的に健康な人は愛する人のために何かをする時に楽しい。

自己実現の人は相手のためになることをしている時が楽しい。

自己実現の人はプラスで愛を感じる。

神経症者の基本は、人が嫌いということである。彼らは嫌い、嫌いの人間関係の中にいる。

神経症者は恋人が積極的に何かをしてくれることに愛を感じるのではなく、じっと耐えている姿に愛を感じるのである。

思えば数年前、自分が神経症的傾向が弱いと感じていた時は、誰かの為になることが、楽しいと素直に思えていたと思います。特に恋人の喜ぶ事をするのは、嬉しいし、お互いにとってプラスだと感じていた。少なくとも、恋人がじっと我慢する姿を見て、嬉しいとは絶対に思わなかったと思う。

会社が変わってから、社員の何名かが重度の神経症で、自分も神経症がひどくなり、周囲に辛く当たるようになってしまいました。

加藤諦三さんの本を読んで、自分の神経症的な傾向に気付き、心理的に健康になれるようにセルフケアをしていますが、やはり周囲に強い神経症の方がいると、自分もそれにつられてしまいます。

修行だと思って、3年今の会社で我慢していましたが、そろそろ限界です。

今は一刻も早く、この環境から抜け出す事を考えています。心の触れ合いがない、ただ勝つか負けるか、なんて神経症的傾向の強い環境は、私には合いませんでした。